■一日目 宮城県 仙台
東北労協の方々の協力により、仙台港、閖上など、宮城県の中でも特に津波被害の大きかった沿岸部を視察。
仙台は平野であるため海岸から8~9キロ離れた部分にまで浸水があり、かなりの広範囲で被害が見られた。
地震発生時に一時避難所となった小学校も尋ねることができた。地震発生時には小学校の体育館などに避難することがセオリーとされているが今回はそれが通じなかった。
ガラス片や校庭に植わっていた松の木とともに体育館へ流れ込んだ津波はフロアの人々を飲み込み、体育館内はまるで洗濯機のようにうずをまくような状態となった。
なんとか二階のギャラリーへ逃げた人々はどうすることもできず、逃げ遅れた一階の人々が濁流の中で息絶えてゆく様子を呆然と眺めることしかできなかったらしい。
現在も、壁にかけられた時計は震災により電気が止まった2時47分を指し示したままである。
そして体育館内には祭壇が設けられており、犠牲者の遺物であると思われる小さな靴などがたくさん並べられていた。
どれだけの人がここで亡くなったのだろうか。案内の方の話を想像するだけでも恐ろしく、悼ましい。
また、ボランティアの負の側面についても話を聞くことが出来た。
震災からの復興はもちろん現地の方々を中心に進めていかなければならないのだが、その前提が崩れているというのである。
被災者が自立するためには、仕事を持たなければならない。しかし、今回の震災を口実にクビを切られた労働者が少なくないというのだ。
とある工場では、社員を解雇した上で復旧作業をボランティアに任せることで賃金を浮かせるなど、倫理を無視した雇用の現状が浮き彫りになっているらしい。
ボランティアに罪はない。しかし、結果的に被災者の仕事を奪っているという現実は存在する。
復興を目指すにあたっては、行政にしかできないこと、民間企業にしかできないこと、ボランティアにしかできないことを区別しなければならない。
そうでなければ、この工場の事例のようにボランティアが被災者の自立を阻害してしまうことにもつながりかねない。
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(被災地での写真撮影は現地の案内の方の許可を得た上で行っています。)
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